いつだっただろうか。
「■■、■■」
それはとてもとても、暑い日だった。
「■■■、■■■?」
聞いたことのない、貰ったことのない、優しい声に導かれ、ぼやける視線の先へ、無意識に手を伸ばす。
◇◆◇
「ピヨ」
本来なら可愛らしい声で聞こえるであろう鳴き声は、なんとも野太い音で耳に伝わる。
「……もふもふ」
寝起きの言葉は、手に伝わる柔らかく温かな感触を口に出す。
「ピヨ!」
「ぐほっ!」
寝ぼけている彼に、モフモフの手羽から炸裂したパンチがみぞおちへと必中する。寝台から崩れ落ち、腹を抱えて咳き込む彼〈アラタ〉は落ち着いていくと、すかさず自分の背後にいる者を、赤と黒のオッドアイの目で睨む。
「いってぇーじゃねぇか、親父!」
親父と呼ばれた者は、彼の居る六畳の部屋の天井頭を擦り付ける程に巨漢な。
「ピヨ」
新緑色の甚平を着たヒヨコに指を差す。
「ピヨ。ピヨピヨ、ピーヨ!」
「起こしに来てくれたのはありがとう、でも起こし方があるだろ!」
「ピヨピ、ピヨピヨ」
「すぐ起きなかった俺のせいかよ……。今日は、なんか久しぶりに夢を見て……」
「ピーヨ?」
「文句は、ありません……」
アラタは目線を逸らして謝ると、それが気に食わなかったヒヨコは彼の背中に狙いを定め、またも手羽ビンタをくらわせる。
「いっ!」
「ピピーヨ。ピヨ、ピピヨピヨ」
ヒヨコはまたも苦しむアラタのパジャマの襟元を掴み、外へと続く扉へと手を掛ける。
外は朝に相応しく晴れやかな青空を広げて、太陽もその青空に負けず彼等の住む二階建ての少し年季の入ったアパートに朝の光を照らす。その眩しさにアラタは自分の目を手で隠す。
「おはようございます。大家さん、アラタさん」
彼の隣の部屋から扉を開ける音が聞こえ、それと同時に可憐な女性の声が彼等に挨拶をする。
「ピヨ!」
「花江さん、おはようございます」
アラタが手を退けてヒヨコと共に、花瓶の頭を持つ彼女に挨拶をする。
「お二人共、朝御飯の時間なのに此処にいるということは……」
花江はアラタへと近付いて膝をつき、彼の跳ねた髪を触る。
「アラタさんがお寝坊さんね。髪がとても跳ねているわよ」
アラタは顔をほんのり赤らめながら、自分の寝癖を手櫛で無理矢理とかそうとする。そんな彼の行動に彼女は「フフッ」と笑う。
「メランボジウム」
「はい?」
「貴方へ贈る花言葉。《あなたはかわいい》!」
「あっ、はぁ……」
アラタが呆気にとられている間に花江は立ち上がると、彼女にとって大家であるヒヨコにお辞儀をする。
「では、仕事に行ってきますね」
花江は桃色のワンピースの裾を風でユラユラと揺らしながら、アパートの階段を降りていく。彼等は彼女を見送り、「もう自分で歩けるよ」と、アラタも自分の足で立ち上がってヒヨコと共にゆっくりと階段を降りていく。
「おぅ、珍しくお寝坊さんだなぁ。アラタ」
階段下にて、片手に看板を持ち、もう片手に酒瓶を持った大男がアラタへと話しかける。
「天さん、おはよう」
「おう。大将も、おはようさん」
「ピヨ」
天は坊主頭に椿の刺青をし、額に角を生えさせてとなんとも厳つい姿をしているものの、緩く着ている青い甚平と片手に持つ酒瓶で顔の雰囲気は減らされているだろう。
「お寝坊さんな奴には、これ朝飯前に直しといてな」
天がアラタに持っていた看板を渡し、「あー、喉乾いた」と水代わりに酒を口へと注ぐ。
「さっ、誰かさんの寝坊で遅くなっちまったが、朝飯だ朝飯〜」
「ピーヨ!」
二人がアラタを放って陽気に歩いていく後ろ姿を、彼は溜息を溢す。それでも彼は言われた通りに、天がやりかけていたであろう足元に放置されていた工具から、トンカチといくつかの釘を持ってアパートの門へと向かう。アラタは元々看板のかけてあったコンクリート塀の場所に、再び看板を器用につけていく。
「よし」
アラタは看板を付け終わり、朝御飯の匂いが漂うアパートへと小走りで向かう。
看板には《おかし荘》と書かれていた。
これから、この奇妙な存在の彼等と。
「あっ、天さん俺のベーコン取るなよ! 育ち盛りだぞ!」
「お前は肉より野菜を食え」
「ゲェ」
朝御飯中であっても騒ぐ彼等。そんな中、部屋の片隅に置いてあった黒電話から大きな音が響く。
「ピヨ!」
「わかった、出るよ。……はい、もしもし。おかし荘です。はい。はい。あぁ、家事妖怪! それ、俺です。アラタっていいます。仕事の相談ですか?」
人間であるアラタとが起こす。
おかしなお話。